子供たちのコミュニティーを地域につくる
子供たちのコミュニティーを地域につくる
FC千代田 代表 中村圭伸さん
♢FC千代田さんはどんなサッカークラブですか?
実は、僕らはフットボールクラブじゃなくて「フットボールコミュニティー(Football Community)千代田」なんです。サッカーを中心に子供たちが輝ける場所や居たいコミュニティーをつくることが一番の役割だと思っています。このフットボールコミュニティーという考え方は初代代表の右田さんという方が考えたものなのですが、僕はこれがすごくいいな、素敵だなと思って2013年から手伝わせてもらうことになって。その後、2014年の6月に代表も含めて引き継ぎました。
♢他のクラブと違う特徴を教えてください。
もちろんサッカーの練習や活動はしているのですが、「サッカーを通して〇〇」がすごく多いかもしれないですね。サッカーを通してフラワーアレンジメントや母の日・父の日のイベントなど、誰かのために使う時間の素晴らしさを伝えられるようなイベントをしています。チーム内にもメンタルの先生にがっつり入ってもらっていて、勝つためにサッカーするのではなくて成長した先に勝つことがあるんだよねっていうのをすごく大事にしているんです。目先の結果だけに拘らないクラブになっているとは思います。
♢イベントも開催しているんですね!
スポーツって割と残酷な部分があるじゃないですか。年代とか子供の体の成長によってどうしても優劣がついてしまう。でも、イベントをすればみんなが「最高」なんですよ。みんなバラバラなものを作る。例えば母の日のイベントも「お母さんいつもありがとう!最高!」って熱く書く子もいれば、超細かく書く子もいて、みんな最高なんですよ。でもスポーツをやってしまうとそこの優劣をつけなきゃいけない。そのギャップがずっと苦しかったので、みんなが最高なんだよって伝えるためにイベントをやっています。特に「感謝」は広げていきたいキーワードなので、誰かに感謝を伝えるようなイベントが多いですね。
↑ヒーローがやってくるイベントの様子
♢子供たちの考え方も変わってきますか?
はい。ちゃんと反応して、変わってきますね。サッカーの練習中も、準備ができない子に怒鳴っても変わらないんですけど、誰々が準備してくれたら喜んでくれると思うよって言うとやってくれたりするんですよ。お母さんも頑張って片付けてるところ見たいだろうなって言ったりね。やっぱり誰かに褒められたいとか認められたいとか、そういう気持ちがあると思います。だからサッカーで勝ってる負けてるよりも子供たちが成長してるかしていないかっていうところで判断する。そういうあったかいクラブを作っているところは他と違うかなと思います。
♢千代田というクラブ名なのも良いですよね。
実は、クラブ名に市町村名をつけなくてはいけない決まりはないんです。でもこの地域にはうちしかクラブがないので、地域にこだわりを持ってやっていく意味を込めて「千代田」と入れています。やっぱり地域の人にも応援されるクラブになっていきたいですしね。うちは中学生になるとキャパシティーの問題でひと学年30人までしか受け入れられないんですけど、千代田区在住、もしくは千代田区の学校に入っている子たちはみんな入れるようにしているんです。これは千代田区の部活動の代わりの役割もあるからです。千代田区ってどうしても受験生がすごく多いので、外部からのレベルの高い子たちと千代田区の子をミックスさせて試合に出るっていう状況を作って、千代田区に少しでも貢献したいなと。これは中学生の部を作ったときから、麹町中学校の校長とそう話して、それだったら協力できるっていうことで始めてますし。だから千代田区の子たちは大切にしたい。僕も船橋出身で、すごい地域に育てられたっていう気持ちが多かったので。当時は小学校の部活とかでしたけど、船橋の選抜って船橋を代表して戦うってすごい気持ちよかったですし、誇らしい部分もあったので、それって地域を好きになってもらうために大切なことだと思います。
♢千代田区でサッカーやるって難しいんですか?
地方とは違う難しさがあるかなと。僕が一番衝撃だったのは、子供たちにとってサッカーが一番じゃないことですね。これは他のクラブと違うところになるのかもしれないんですけど、小学生の部と中学生の部はグラウンドが取れたらいつきても何回きてもいいスタイルなんですよ。その理由は、みんな塾の日程とか習い事の日程とかがバラバラなので、みんなで集まって練習することができないんですね。だからサブスクみたいに、来れる人は来てくださいスタイルにしているんです。サッカーを一番にしてくださいって親御さんに言ったこともないし、勉強と両方できる環境を与えてあげることが一番大事かなって思いますね。
♢週一の子とよく来る子とか、練習量に差が出てきますよね。
その通りです。今のサッカークラブの流行は、レベル分けをするスタイルです。確かにレベル分けをするとストレスもないしみんなが楽しめる環境を作れます。うちでもそれを検討した時もあったんですけど、今はトップは作るけどみんなが一緒に練習していることの方が多いです。その方が、できるやつが偉いわけじゃない、このチームでどうやって工夫しようかなとか、正直上手くないけど出せる特徴ってなんだって子供たちが考えだすので、それが将来役に立つのかなと。同じようなレベル感で、みんなが同じようなことできて、円滑に簡単に進むっていう状況は、社会に出たらないと思うので。この考え方を理解してくれている方たちは、うちで続けてくれているかなと思いますね。
♢卒業生とも関わりがあると聞きました。
そうなんですよ。1期生と2期生が今うちでアルバイトをしに戻ってくれています。こんなに嬉しいことはないです!「コーチあのとき超理不尽でしたよ」とか、昔のことを言ってくるんですけど(笑)子供たちと父兄とコーチたちの関係って、基本みんな仲間なんですよね。いい時間を共有する仲間、そして子供たちの成長を後押しする仲間だと思っています。子供たちから意見をされることもよくあるんですよ。これはうちのクラブの特徴でもあるのかなと思うんですけど、コーチと選手の距離はかなり近いです。卒業してからの連絡もめちゃくちゃきますからね。「今日います?」「いるよ〜」とかね。アルバイトで帰ってきてる子たちの中には、今も大学で現役でサッカーしてる子もいます。立ち上げ当初一緒に苦労した子たちです。みんなちゃんと勉強もしているんですよね。全然僕より頭も良くて、すごいんです。もちろんうちを卒業してから高校、大学でサッカーやってない子もいるんですけど、それは全然問題ではなくて。じゃあ次は何にパワー使うの?と聞いています。高校辞めて海外にチャレンジしたいって子もいるし、子供たちからパワーをもらいますよね。嬉しいのは、僕に連絡くる子もいるんですけど、他のコーチに連絡する子もいるんです。普通、クラブをやっていると代表に連絡しないといけない雰囲気になるんですけど、そんなこと全くない。人同士ですから合う合わないってやっぱりあるし、好きなコーチに連絡していいですよね。
♢中村さんが代表を引き継いだきっかけを教えてください。
30歳でサッカークラブを作るっていうのはもう23・4歳ぐらいからずっと思っていたんです。30歳でサッカーで独立するってみんなに言ってたんですよ。そしたら29歳の終わり頃にちょうど友人が初代代表の右田さんと知り合って、ちょっと手伝ってって言われて、一瞬でスパンとサラリーマンを辞めました。
♢それまでは何をされていたんですか?
高校卒業してから26歳まで8年間ぐらいサッカーのコーチをやっていました。ただ、コーチって自由な時間を作れる仕事なので、その期間も並行して好きなことやってみたりしていました。地元で先輩と一緒に小さいバーを出したこともあります。友達がたくさん集まってくれたりして良かったんですけど、朝から働くのが辛くて。楽しかったけど、行く側でいいなっていう結論になって辞めました。あとは、一番大きな買い物である家を売れたら最強なんじゃないかと思って、マンションの販売員もやっていました。
♢コーチはフリーでやっていたということですか?
そうです。途中から社員じゃなくてフリーでやらせてもらってました。当時は社員ってほとんどいなくて、みんな任意団体でちょっとお金をもらうような形でした。だから最初はアパレルのお店でバイトをして、昼からコーチをする生活を繰り返していて。でも、このままだと自分の世界が広がらないって思ったんです。それで違うクラブ移った時に時間の調整をできるようにして、夜だけの契約にしました。空いてる時間は勉強しながら外の世界を見ようと。その後25歳で他のクラブに移って、フットサル場の立ち上げをやりました。そのフットサル場に魅力的な大人の方が沢山きてくれて、色々な仕事のことも知れてとっても面白くて。それで素敵な人って一つのことだけじゃなくていろんなこと知ってるなと思って、よしサッカー辞めようと思って、ウェブ系のサラリーマンに転職したんです。
♢ウェブ系!意外だなと思いました。
いきなりスーツですよ(笑)その時すでにサッカーで独立することは決めていたので、その際に使えそうなスキルが身につくような仕事がしたかった。それで、サッカー×ウェブ関係はすごく面白そうだなと思って。転職の相談に乗ってくれた友達がすごくいいやつで、ウェブの会社を経営してるそいつの友達に言ってくれたんですよ。そしたら一回面接きてよって言われて。パソコンも打てないし、打てるって言いましたけど(笑)、当時はガラケーだし(笑)、ウェブの知識全くないけど、24時間働きますって言ったら雇ってくれました。最初の1週間は業務後にタイピングの練習をして、夜は八重洲でシャワーだけ浴びてほぼ帰らないみたいな感じでした。でもそれはそれで楽しくて。新しい世界だなって。
↑サラリーマン時代の中村さん
♢その時点で中村さんのパワーがすごいです。
働き始めたらウェブの全体の仕組みがよくわかりました。ステップアップしたいと思った時、可愛がってもらっていた役員の方が社長をやっているマーケティング会社に行く機会をもらいました。それが28から29歳ぐらいの時ですね。そこで一千万以上売り上げがたっている会社の広告を任せられるようになって、すごい楽しかったんですけど、3ヶ月したらその社長が関西にある他の会社に行くことになって。僕のその時の選択肢は、後釜としてマーケティングの会社で社長をやるか関西に一緒に着いてくかの二択でした。どうしようかなと迷っている時にちょうどFC千代田の話がきたんです。見に行ってみたら、フランス人学校で始まったクラブだったので、フランス人と日本人が一緒にサッカーをやってる。しかもコンクリートでやってるんです。僕らからしたらコンクリートでサッカーやってるってブラジルのストリートサッカーみたいなイメージで。「都心」で「コンクリート」で強いクラブになるとかサッカーを根付かせるとか、そういう難しそうなところにワクワクしてしまいました。速攻でサラリーマン辞めて、僕ここでやります、手伝わせてくださいって言って入れてもらいましたね。
♢今までやっていたこと、全部活きてますね。
そうですね。本当にラッキー。出会う人がみんな素敵な人ばっかりだったので、良い刺激を常にもらっていました。今もみんな仲が良いので、それぞれ独立して好きなことを輝きながらやっているのを見ると、成功ってお金持ちになることだけじゃないんだなって。
♢代表になるにあたって参考にしていたクラブはありますか?
当時はみんな一生懸命サッカーだけをやっていて、成功している=会員の数が多いことだったんですよ。これは僕の中ではなんか違かった。その頃はスポーツ×〇〇っていうクラブはまだなかったので、それをやりたいと思いました。飲食店もそうだしウェブ関係もなんとかできるかなって。色々なことに関わりながら生きていく人たちを増やすのもコミュニティーの役目だと思っていたので、そういうことをしたいなと。それが僕の成功として位置付けるものなのかなと。
♢中村さんがそう思うようになったきっかけは?
僕は市立船橋高校出身なんですけど、その時の同級生が6人サッカーのプロになったんです。学校は全国制覇もしてるけど僕は全く試合に出れなくて、この組織の中で自分にしかできないことってなんだろうなってすごい考えていたんです。走っても跳んでも当たっても彼らの方が強くて、テクニックも彼らの方がある。じゃあ自分に何できるんだろうって。そういう厳しい環境から学ばせてもらったのかなと。もしプロになるような人たちが周りにいる環境じゃなかったら、そういう考えにはならなかったかもしれないですね。僕の場合はすごくラッキーでした。この考え方はその後すごく役に立ちましたね。もしもプロになった彼らが引退してクラブ作ったとして、サッカーだけの実力で言ったら彼らの方が素晴らしい。だけど自分にしかできないことってあるんじゃないかなって思ったら、自然とサッカーコーチが苦手とすることとかスペシャルなサッカーの才能を持った人たちができないことを学んでいくことがすごく大切なんだろうなって。
♢だからサッカーだけじゃないんですね。
そうですね。人生にとって何か大切なものを見つけてもらえたらいいなと思います。そのきっかけにうちがなればいいなと。サッカーを極めたいからサッカーだけをやってて、果たして極まるのか?と思いますよ。人のことを大切にする心とか絶対にチームとして大切なこともサッカーじゃないところから学べますからね。新しいことに子供たちが触れあう機会を作っていけたらなと思っていますね。
♢これから挑戦したいことを教えてください。
フットボールコミュニティー千代田という名前でやってますけど、今度から大元をスポーツコミュニティー千代田という名前に変えたんです。スポーツの素晴らしさをサッカーだけじゃなくてもっと広げたいなという想いです。すでにバスケットも始めていて、これから陸上とか色々なスポーツも始めていこうと思ってますし、別に自分たちでなくても、もう今千代田区で活動されている方たちと手を組んで、会員の取り合いじゃなくて子供たちの良い環境をみんなで作ろうぜっていう形をとっていきたいなって思っています。その結果テニスやったりバスケやったり、ジュニア年代でマルチスポーツが自然とできる環境づくりにチャレンジしたいですね。それとスポーツ以外のイベントも自分たちだけじゃなくてまちづくりの一環としてやれたらすごく素敵だなと。チャレンジしたいなと思っています。あとは僕が社会人になってから大学院で研究していたテーマである「部活動の地域移行」ですね。つまり、生涯スポーツをどうやって地域に残していくかという課題です。今は学校に部活がありますけど、今後部活がなくなると誰でもスポーツができる状況ではなくなると思うんです。そうなった時に千代田区にちゃんとスポーツができる状況を根付かせておくためには行政の力が必要なので、うちが行政から認められる団体にどうやったら成れるのかということは考えますね。
♢都会ならではというか。タイトな時間を刻みながら動いていく子供たちにとってはマルチスポーツが合うかもしれませんね。
僕も大人になってからはフットサルやゴルフ、バーに行ったりして友達ができる。こういう人脈の広がりってすごく大事だなって思うんです。いろんなスポーツをやっていると友達の数が何倍にもなっていく可能性がありますよね。例えば今から自分がバスケを始めるってなったらかなりハードルが高いと思います。でも昔やってたら少しハードルは下がる。そうやって子供の時に触れていたスポーツがきっかけで大人になってからもいろんなコミュニティーに属することができれば、自分が苦しい時に助けてくれる人が現れる確率も高くなる。それはすごく大事だなって思います。日本の学校の自殺率とか、学校に行けない子たちのこと、すごく心の中で気になるんですよ。僕も中二の終わりから中三までほとんど学校に行っていませんでした。でもサッカーがあったから部活という輝けるコミュニティーがあったから、授業の時間の後、学校にダッシュで行ってました。あの時、授業に来ないんだったらサッカー来るなって言われてたら、学校辞めてたかもしれないですよね。大人になった僕に何ができるかなって言ったら、子供たちの輝けるコミュニティーを学校以外に作っていくことだと思います。学校ではすごく苦しいかもしれないけど、違うコミュニティーでは輝けるのであればその子たちの苦しみを少し取り除いてあげることができるのかなとは思うんです。それはサッカーでもサッカー以外でも、自分たちの組織でもそうでなくても、地域の皆さんと構築していけたらいいのかなと思います。とにかく、子供たちがヒーローになる瞬間をいっぱい作ってあげたいんです。ヒーローになる瞬間ってこっちが見ても感動しますしね。
♢読者に伝えたいことは?
山ほどありすぎて(笑)僕たちはスポーツで得られる子供の成長って一体なんなのかを常に考えているクラブでありたいと思っています。勝ち負けだけじゃなくて、実は親御さんたちが求めてるのってコミュニティーだったり人の広がりだったりしますよね。そこが一番大事だということをぶらさずに、この地域でやっていきたいと思ってます。
でも、実はすごく大変なのは、この想いに共感するコーチを集めることなんですよ。コーチになる人って当然みんなサッカーが好きなんですけど、やってきた自分たちのサッカーって勝ち負けが大事なサッカーなんです。だから、勝ち負けじゃない、子供たちが成長した先に勝つことがあるっていう価値観を一緒に共有できるコーチを探すのがすごい大変なんです。今いてくれているメンバーはすごくいい人たちばかりなんですが、もっと誰か手伝ってくれる人、千代田区にいないかなーって思ってます!もっと地域の人たちとも関わっていきたいので、今後ともぜひ宜しくお願いします!
取材にご協力いただき、ありがとうございました!
FC千代田
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