お江戸のおはなし Vol.11 お江戸の旅事情
お江戸の旅事情
江戸時代は太平の世が200年以上続いたことで交通路が整備され、人や物が大量に行き来したことが江戸の繁栄を支えました。封建社会で支配されている町民や農民は行動の自由が許されないようにイメージされがちですが、実際には往来手形・関所手形を発給してもらえさえすれば行動の自由は保証されていたのです。旅行に出かける理由として寺社参りを使うと申請が通りやすかったようで、伊勢神宮参詣などに行く人は年間で百万人以上に及びました。十返舎一九の東海道中膝栗毛がベストセラーになったのも旅行人気の現れです。
旅といえば、交通路と宿泊施設はどうだったのでしょう。懐が豊かな人以外、人々は陸路を歩いて旅するのが普通でした。街道筋には約4㎞ごとに一里塚が置かれ、旅の目安となっていました。宿場には朝夕の食事を提供する旅籠屋の他、木賃宿という旅人が食糧を持ち込んで煮炊きする宿もありました。生活物資販売店や馬に水や食糧を供給する馬宿も置かれましたが、今でいう高速道路のサービスエリアのような存在でした。その他にも宿場と宿場の間には立場(たてば)といって茶店が立ち並ぶ場所もあったようです。太平の世とはいえ、旅には危険が付き物。そのため浪花講などの協定旅館組合が誕生し、安心して宿泊や休憩ができる旅籠屋が組織化されました。旅人にとっては良いサービスを受けられると好評でしたが、その裏では熾烈な宿泊者の獲得合戦が繰り広げられていたそうです。
歩いて旅する以上、出来るだけ荷物を軽くする必要があり、通行手形・金銭・薬は必須として、衣類は着物の上には道中着を着用し、着替えの下着以外は着の身着のままの旅を強いられました。しかし、そのおかげで旅で必要なものは宿場で買い求めるので消費経済の活性化につながり、これが江戸の繁栄の大きな要因となったのでした。
(「お江戸案内 パッケージツアーガイド」を参考にしています。)