お江戸のおはなし Vol.16 江戸の三富

江戸の三富

 いつの時代も一攫千金は庶民の夢。宝くじはお江戸の時代には富くじと呼ばれていましたが、幕府が賭博性が高いと禁じていた時代もありました。結果もぐりの富くじが盛んになってしまったため、幕府の管理下に置こうと八代将軍徳川吉宗が許可したと言われています。幕府が出した最初の富くじは、京都仁和寺の修復費用を集める目的で護国寺で売り出されました。その後、多くの寺社で売り出され、中でも谷中の感応寺と目黒不動、湯島天満宮の富くじは江戸っ子たちに大人気でした。
 富くじは興行主となる寺社で番号入りの札が売り出されます。抽選は寺社奉行検使が立ち会って厳正な公開抽選が行われました。木箱に入っている木札を全部出して再び箱に戻します。蓋をしてかき混ぜ蓋に開いた穴から錐を入れて突き、刺さった札を取り出す。最初に出たのが一等の当たり札で「一の富」です。当たりは100番まであり、当選金は一等百両が普通ですが、時には三百両とか千両という夢のような大金になるものもあったとか。たまに前後賞がある富くじもあったようです。
 そして、富くじが当たるようにと、願掛けで江戸っ子たちが訪れたのが芝の増上寺です。徳川家康が黒本尊と呼んで戦の勝利を祈願して陣中に持ち込んだ仏像が奉納されているため、勝運、災難除けにご利益があると信仰を集めました。広大な畑が広がる目黒周辺は将軍が鷹狩を楽しむ場でもあり、行楽地としても有名です。目黒川にかかる石造りの橋脚のない橋、太鼓橋を渡ると目黒不動です。行人坂から目黒不動の門前に続く道には茶屋や土産物屋が立ち並び賑わっていますが、特に賑わうのが正月・5月・9月の28日の縁日と富くじ興行の日です。境内にある独鈷の滝に打たれ世俗の垢を落として、富くじ購入前の願掛けをしました。
(「お江戸案内パッケージツアーガイド」人文社刊を参考にしています。)