半蔵門駅一番出口の階段を上り、地上へ出てすぐ目の前に「巨牛荘」の看板文字が見える。
巨牛荘は、半蔵門界隈でも知る人ぞ知る「プルコギ」で有名なレストランだ。
1977年に墨田区の石原に本店を構え、現在は六本木、半蔵門に店舗展開をしている。
創業者の桜井さんは、韓国で学んできた正統的なプルコギを日本人の舌に合う味にアレンジした「プルコギ」と、その肉汁で仕上げる「焼きうどん」のメニューを生み出した。
秘伝のタレを引き継ぎ、今も変わらぬ味で近隣の方のみならず多くの芸能人やマスコミ関係者までも足繁く通う人気店である。
探求心そして行動力
そんな巨牛荘の半蔵門店を10年以上切り盛りしているのが店長の島田さんだ。
筆者が「上司にしたい」と推薦させて頂いた理由は、島田さんの飲食業界での経験とその人柄、そして仕事をする上でのポリシーにある。
現在36歳の島田さんが飲食の世界に入へ足を踏み入れたのは18歳の時。
都内のロッテリアに勤務していたある日、焼き鳥屋で働いている後輩から「人手不足なので六本木の焼き鳥屋を手伝ってもらえませんか」と声を掛けられた。
島田さんはそれをきっかけに焼き鳥屋の焼き場をメインに担当し、店長になっていた。
お店は六本木という土地柄もあり繁盛していた。
島田さんは仕事が終わると、お洒落で高級なお店が多いこの街を歩き、居酒屋やレストラン、バーなどの飲食店に通う。
ゆっくりできるお店では、お酒の知識から経営の秘訣となるものまで楽しみながら学び、同時に多くの人脈を作っていった。考え方は人それぞれ。
色んな人と会話し、各々の価値観から刺激を受ける。それが島田さんの知見を広げることにつながった。
後にこれがビジネスを加速させることとなる。
その後、島田さんは都内で創作料理店の立ち上げに携わることとなった。キッチンの配置からメニュー決めまで経験し、また、日本料理の修業も行った。
気が付くと、キッチンとホールの両方ができるようになっていた。
今でも他のお店へ行くと、スタッフ数や席数、サービスの質など「ウォッチングする癖がついちゃいました」と笑って話す。
積み重ねの挑戦が自信へと変わる
島田さんが巨牛荘へ入ったのは24歳の時。
以前の焼き鳥屋の店長であり、現在は島田さんの上司である野崎さんからの熱烈なラブコールによって、その熱意に根負けした形で三番町店の店長となった。
その後は西葛西店の店長をしていた時期もあったそうだ。
今まで経験してきた六本木や戸塚という繁華街とは違い、ベッドタウンにある店舗であることから、集客にあたって最初は戸惑いを感じたという。
そんな状況でも、普段の営業や仕込みをしながら空いた時間を捻出し、様々なセールスを試すことでその地域に適した集客手段を研究していった。
地域媒体に掛け合ったり、近隣企業へ飛び込み営業をしたり、近くの美容室などとのタイアップの企画をしたりもした。
こうしたコツコツと積み重ねた体当たりの挑戦が、島田さんの経験、そして自信へとつながっていった。
仕事“仲間”
島田さんがお店の運営で最も心掛けていること、それは「スタッフさんとのコミュニケーション」である。
巨牛荘のアルバイトは学生が中心であるのだが、どの学生も卒業するギリギリの時期までアルバイトをやり切るそうだ。
学生を含むスタッフ同士はみんな仲が良く、プライベートでも一緒に遊ぶ間柄だそうだ。
島田さんも休日にお店のメンバーで飲みに出掛けてコミュニケーションをとっている。
時にはスタッフ同士の性格の相性を考えながら、楽しく働けるようにシフトを組む。
そんなお店だからこそ、卒業した学生は今でも気軽に集まったり、後輩の学生をお店のアルバイトにと紹介してくれたりするそうだ。
半蔵門の人気店の秘訣は、店長の島田さんの周りを気遣う人柄と、なんでもやってみようという挑戦心、そこで培った自信とそれを見せる背中である。
そしてそれを傍で支えるのは、一生ものの仲間を見つけて心から楽しくのびのびと働く傍にいるスタッフさんであった。