お江戸のおはなし Vol.4 見えすき吾平と江戸城の石垣

 

伊豆国はもともと箱根火山の溶岩流で形成された土地が多く、古来、伊豆石と呼ばれる良石の産地です。
江戸城を築城しているころ、この伊豆国・堀河(現在の北川)に 見え“すき吾平 というある種の超能力を持つ採石業者の親方がいました。

普段は採石場で仕事”をしていますが、腕のある石切は時々わざと道を外れ森の奥深く分け入り、珍しい岩や石を見つけてはうまく切り出し高く売り富と名誉を手に入れていたそう。
石にはある特定の平面にそって割れる性質(劈開・へきかい)があり、その劈開面をなす線を節理といい、この節理を正確に見極めることができる能力を持っているのが吾平でした。

見えすき吾平の名は徳川家康の代官頭・大久保長安にも届き、ある時、江戸城の石垣を切り出すよう命令が下ります。

作業が進むにつれ細かい注文がつくようになり、石は大きく切れ、色のついた石は出すな、形状は角石であれ、切り口は直線であれ、断面は平滑であれ等々。
吾平は長安から再三大きな石を切りだせと要求されるうちに、あらかた掘りつくされている堀河を捨てようと決め、手下を連れて山師として未開の伊豆の西側に向かいます。

遠目でこれだと目をつけた巨大な一枚岩を崖から切り出すことに成功した、と同時に大切な仲間を失いました。
吾平が西伊豆の石丁場の整備と安全な修羅道の開削を進め、仲間への弔いの意味も込めて、西伊豆で切りだした巨大石を使うにふさわしい場所を求めて江戸へと向かったのは7年後のことでした。

結果、巨大な上品の石は二つに切られ、鏡のように平滑な面を持つ大面石は大手門を入った正面の石垣に鏡石としてつみこまれ、もう一方の石は9個に分割され鏡石の周りに配されたのでした。
鏡石の光を鋭く反射する性質がそのまま悪霊退散、城そのものを霊的にまもる象徴の存在としていかされたのでした。これ以降、幕末に至るまで約300年の間、江戸城は敵の襲撃を受けていません。

ただし、その間何度かの修築を経ているので現代私たちがみている鏡石が吾平の石である保証はありませんが、大手門に立って散策するのも悪くないですね。

(門井慶喜著『家康、江戸を建てる』を参考にしています。)