神保町で25年。ニューヨークスタイルのデリ

神保町で25年。ニューヨークスタイルのデリ

スープ・デリ 岩下 年秀さん、由美さん

 

スープ・デリをオープンしたきっかけは?

前職の時に出張でよくニューヨークに行っていたんですが、当時ニューヨークには「デリカテッセン」という、お客さんが好きなものをチョイスして量り売りでテイクアウトできるスタイルのお店が、1ブロックに一軒くらいありました。滞在中はとにかくハードワークだったので、よくデリで買ってきて食べていたんです。日本でいうコンビニのような存在ですね。それで、こういったスタイルのお店は日本にないなと思って、スープ・デリをオープンしたんです。始めた当初は自分でおかずをチョイスすることに慣れていないお客さんもいましたけれど、段々と定着していきました。特に野菜やお肉をよく煮込んだスープの評判は良かったです。

 

◇アパレル業界から転身されたそうですね
お店をオープンしたのは1996年、私が45歳の時です。それまでは23年間、ずっとアパレル業界でマーチャンダイザー(商品開発から販売計画や予算管理を行う職業)をやっていました。とあるブランド……ここでは「H.M.」と呼ばせてもらいますね。そこにいたときは、デザイナーがニューヨークに住んでいたので、年に2〜3回ぐらい定期的に行って、シーズンのコレクションの相談をしたり素材を輸入したり、たまには雑貨とかを輸入したり。そういう仕事をやっていました。「H.M.」はオートクチュールがメインのブランドで、パリコレにも出ていましたよ。
「H.M.」を出た後は、自分のブランドを立ち上げました。当時まだ日本にGAPがなかった頃、ニューヨークでGAPを見かけ、こういうブランドを自分でやりたいなと思ったんです。たまたま取材があったときにそのことを話したら、C社の社長から「うちでやってみない?」と声が掛かりました。3年間そこで頑張りましたが、一人ではやりきれないな、引き時だな、と思いはじめて、辞めることにしました。そしてふと、そういえばデリのお店をやりたかったなって思い出して。C社の社長がとても理解のある方で、半年間働かなくていいからお店の準備しなさいと言ってくださったんです。要するに給与が出ている状態で、お店の準備期間をもらえたんですよ。その時の社長は今もお店に来てくれています。

◇思い切りがいりましたよね?
そうですね。でも、人生一回きりだから色々なことに挑戦してみたかった。やりたいことやってみたほうがいい。あなたもやってみたほうがいいですよ(笑)

ニューヨークでの特別な体験

 

◇ニューヨークにかなり刺激を受けた人生ですね
ファッションやアート、音楽などの文化に影響を受けました。ニューヨークにはぜひ年に一回、一週間ぐらいかけていくと良いと思いますよ。街の中ぶらぶらするだけでも。そうすると、街の移り変わりが見えてきます。向こうでクラブが流行っていた時は、新しいクラブができると必ず行ったりしていました。そういうところに時代の最先端をいくような人たちがいて、すごく刺激になりましたね。あとは、毎年12月の第1週の月曜日にメトロポリタンミュージアムの中で開催されるパーティーがあって、それがすごく有名な人が集まるパーティーで、たまたまトランプ元大統領の昔の奥さんと知り合いになったこともありました。その頃、彼は不動産王でしたね。色んなところに興味を持って出かけてみると、色んなものが見えてきますよ。

 

◇海外にはよく行かれるのですか?
海外に知り合いがいたりして、年に一回は旅行に行っています。去年はローマに行く予定だったのですが、今年もまだ無理でしょうね……。うちは外国のお客さんも多いので、お店で仲良くなってニューヨークに一緒に行った人もいますね。その人はフロリダから来ていた学生で、当時神保町のサクラホテルさんに1ヶ月間滞在していて、毎晩うちに飲みに来ていたんです。それで友達になって。その後、ニューヨークに行くって話したら、彼のおじさんの家がニューヨークにあるからって、一緒に泊まらせてもらいました。その時はうちの子どもも連れて行っていたのですが、うちの子どもはそのまま彼にくっついてフロリダまで遊びに行っちゃいましたよ(笑)彼は卒業後、一度は弁護士になったんだけれど辞めて、フロリダに自分のライブバーを作っちゃったんです。昔うちで音楽の話をしたり、みんなでワーワーやっていたりしたのが楽しかったみたいで。うちに影響されたって本人も言っていました。でも最近は会ってないから、コロナで彼のお店がどうなっているか心配ですね。

 

◇料理は元からお得意だったのですか?
オープン前に、これまで全然料理を作ったことがなかったと気付いて、慌てて練習しました。ですが、元々やっていたファッションと同じように、料理も「つくる」ということが共通しています。なにかをつくるということが昔から好きなので、楽しいですよ。うちで出す料理は冷凍食品やレトルト食品などは使わず、100%手作りにこだわっています。メニューは、ニューヨークや他の国で自分の気に入った味を覚えて、それをアレンジして作っています。

◇神保町を選んだ理由は?
初めてお店を出すわけですから、自宅の近くじゃないと大変だろうと思い、自宅から自転車で通える範囲で物件を探しました。200箇所ぐらい候補はありましたが、神保町は出版社が多いので、忙しい人たちにはテイクアウトの需要があるのではと思ったのと、当時この辺りには女性が入れるようなお店がなかったので、神保町でやってみようと決めました。

 

こだわりの詰まった店内

 

◇お店を改装したこともあるそうですね
オープンして5年ぐらい経った後に、一度お店を改装しました。昔はどちらかというと明るい雰囲気で、テイクアウト中心のお店だったのですが、お酒も出すようになったら、飲みながら中で食べたいって人が結構増えて。それを機会にテーブル席を増やして、今のスタイルに変えました。
今の内装は結構気に入っています。テーブル、カウンター、床や棚なんかに使っている木は、鎌倉の古材を売っている工場に発注したもので、100年前のお風呂屋さんの梁なんですよ。棚に置いているCDは、コレクションやお客さんが持って来たものです。音楽好きなお客さんも多く、夜はロックやブルースをかけて、昼はジャズなどの軽めの音楽をかけています。あのフライパンなんかはオープンした時からだから、もう25年使っています。家にあったやつを持って来たので、もっと長いかもしれないですね。

 

 

目印はマスターの看板

◇看板のイラストは岩下さんですか?
そうですね。昔、うちのお客さんがいたずら書きのように書いた絵で、それをもらって看板にしました。昔は髪が長かったんですけれど、4年前に食道がんになって髪を切っちゃったんです。その頃は入院したり治療したりで2ヶ月間ぐらいお店を休んで、結構大変でしたね。今はもう大丈夫になりました。

 

◇どんなお客様がお店に来ますか?
昔から通ってくれるお客さんもいますが、やはり変化はあります。ランチタイムに来てくれるお客さんは、会社が移転したり、退社したりで来られなくなることもよくありますからね。お昼だと、多い時は9割が女性のお客さんということもあります。ディナータイムのお客さんは結構ずっと来てくれている方が多いです。ただね、常連さんになってくれても、友達や会社の人を連れてこないんですよ。だから全然売上が伸びない(笑)どうやら、うちを人に教えたくないみたいです。仕事の話とかをしたくないのかもしれないですね。だから逆に、うちに一人で来ていた人たち同士が繋がっていくことはすごく多いですよ。ここで出会ったお客さん同士が結婚したこともあります。私たちも結婚式に行きました。お店で出会った同士でなくても、お客さんの結婚式に呼ばれることはよくありましたね。あとは、昔は年に一回、多い時は40人くらいでバーベキューをしたりしていました。生ビールのサーバーまで準備してね。企画はお客さんがやってくれていたんです。最近は疲れちゃうのでやってないですけれどね。もう年だからさ。

 

◇営業自粛が緩和されて、21時までの営業になりますね(3月13日に取材しました)
もう20時までの営業で慣れちゃいましたね(笑) 体がついていくか心配ですよ。以前は夜中の3時頃までやっていたのにね。この辺りは出版社が多いので、昔は夜中まで仕事をしている人もいて。それに営業時間も合わせていたんです。けれど、今は働き方改革で、早く行って早く帰るというのが普通になりましたからね。緊急事態宣言が明けて、ちょっとでもお客さんが戻って来てくれると嬉しいですね。

 

 

取材先:スープ・デリ
千代田区神田神保町2丁目34