江戸時代の水道管技術がすごい。in 清水谷公園

 

今日は、紀尾井町の清水谷公園にやってきました。
ここには、江戸時代に建設された「玉川上水」の水が流れていた樋、いわゆる水道管が展示されています。

4代将軍・家綱の時代に、玉川兄弟により建設された玉川上水。
玉川上水は、現在の東京を西から東へ43キロ(羽村市から新宿区の四谷大木戸まで)に渡って流れていました。
そこから先の江戸の町には、石や木でつくられたこのような水道管に、上水の水を流す仕組み。
江戸に住んでいた人々は、途中に設けられた枡や上水井戸から、生活に必要な水を汲み上げて使っていました。

 

 

当時はまだ鉄の値段が高く、枡から水が漏れないようにと、設計には船づくりの技術が活かされていたそうです。
また、水路を分ける他、水の量やにごり具合を確認する、ゴミや土砂を取り除くなどの役割を持つものもあり、当時の土木技術が相当高い水準にあったことが伺えます。

ちなみに玉川上水は、水が自然に流れ落ちる力によって江戸まで水が引かれているのですが、羽村と四ツ谷大木戸との高低差はわずか約92m。
100mあたり21cmしか差がない計算になります。
こんなに長く、そして緩やかな水路を掘る当時の測量技術にも、驚かされるばかりです。

 

玉川上水の石枡

■場所/千代田区紀尾井町2-1 清水谷公園内