ぴよ蔵の新人研修~一番町と滝廉太郎~

 

ぴよ蔵
「ん~~ちょっと休憩ピヨ!散歩してくるピヨ~」

 

新人スタッフ
「あんまり遠くまで行かないでくださいよ~」

 

ぴよ蔵
「大丈夫ピヨ!一番町はボクの庭ピヨ!迷ったりしないピヨ~~~」

 

一番町と滝廉太郎

 

 

 半蔵門エリアを占める「番町」。かつて、徳川家康は江戸城の西側を守る為、この一帯に警備役の旗本たちを住まわせていました。彼らの通称は「大番組」。そのため、「番町」という地名になったのです。

 

やがて明治時代になると、政治の中心や皇居に接した「番町」は日本の中心と見なされるようになります。その中でも特に「一番町」には、役人や華族の豪華なお屋敷が立ち並び、その中には山県有朋の邸宅もありました。文化人からの信頼も厚く、小説家の武者小路実篤や作曲家の滝廉太郎、山田耕筰も一番町の住人だったのです。

滝廉太郎の邸宅の跡地には、今でも記念碑が置かれています。名曲「荒城の月」の楽譜が刻まれた石碑もあり、ここは東京都指定旧跡でもあります。しかし、彼が一番町に住んでいたのは、たった一年の間だけでした。なぜなら、ドイツでの留学中に肺結核をわずらい、帰国後すぐに亡くなったからです。

 

千鳥ヶ淵からもほど近い「一番町」。皇居から流れて込んでくる澄んだ空気を吸いながら、ゆっくりお散歩でもいかがでしょうか?

 

ぴよ蔵
「ただいまピヨ〜」

 

新人スタッフ
「遅かったじゃないですか!!心配しましたよ!!!」

 

ぴよ蔵
「ごめんピヨ……気が付いたら皇居の芝生で居眠りしてたピヨ」

 

新人スタッフ
「え!?(汗)」